有り難うは”Very rare” 体験が育むギャップを感じる力
人工知能 (AI) は、現代に新しい変革の時代をもたらし、重要な役割を果たしています。しかしその一方で、自分の頭で考えず、AIに答えを求める大人が多いのも事実です。
今回はAI時代における学びにフォーカスして、弊社代表の池田が、退蔵院の松山大耕氏、NLCSのマットウィリアムズ校長と深堀してみます。
AIに頼るとモノの見方感じ方がイージーになり、幸せを感じにくくなる
池田:これから生きる子どもたちにとってどういうことが大事なのか、大耕さんの視点を伺いたいです。
松山 大耕(以下 大耕 )
AIの時代に代替できないものは、「身体性」と人としての「コンパッション(共感)」だと思います。情報として知ったことと、体で学んだ知恵は全然違うので、重要なことは、いかに自分の体験として学ぶかでしょう。
大耕:例えば今、気温15度ぐらいで快適ですよね。この温度だけを知っていても、この15度の空気と、15度の床の冷たさと、15度のシャワーをかぶった時の水の冷たさは全く違うことがわかりません。単に情報を集めただけの知識と、本当にそれを体験するっていうのは全く違う学びなので、やっぱりこの身体性を通した学びというのをまず1つ目に重視したいですね。
池田:なるほど。確かに今はなんでもスマホで調べてわかった気になってしまいますよね。
大耕:もう一つが、コンパッションです。お釈迦様が残した教えの中に「四苦八苦」というものがあります。四苦とは生老病死、生活する、老いる、病にかかる、死ぬ。これが苦の4つの根源と言われているんですけど、これって2500年前でも現代でも変わらないですよね。
苦というの苦しいという意味ではなく、「思い通りにならない」ことです。思い通りにならない身体性のある身体をみんなが人間として持っていて、だからこそ共感できることがたくさんある。AIはスマートだけど、生老病死を体験していない。
だから一人間としての思い通りにならないことも含めての共感、これがおそらく人としての魅力につながるし、AIには絶対にリプレイスできない重要な要素だと思いますね。
マット:親が子どもに与える体験もそうですよね。一緒に本を読む、一緒に食事をする、休日を共に過ごす。そういう時間を持つ子どもは、最新のゲームやスマホを与えられただけの子どもより、幸せを感じる力が強いです。静かにさせるためにスマホを渡すのではなく、豊かな体験を与えることが本当に重要だと思います。
大耕:私が埼玉での修行から、28日間歩いて京都まで帰ってきたんですが、その道中で台風に直撃されてボロボロの状態で辿り着いたあるお寺が、大変親切にしてくださったんです。自分は軒先で雨さえ凌げればというつもりだったんですが、ストーブを出してお布団もご飯もご準備くださって。もう知らないうちに涙が流れていました。
ありがとうというのは漢字で「有る」ことは「難しい」と書きます。
英語にするとベリーレアと説明しています。これは、ギャップに感じる思いなんでしょう。
考えたら誰でもわかるんですよ。でも、それを本当の体験として自分で学ばないと真に感じることはできない。
新幹線で東京に行くと、大雨とか雪の日は遅れるじゃないですか。そうすると、必ず車掌さんに文句を言っている人がいますけど、
そんな人に「歩いてみなよ」と思うんです。1-2時間遅れたしても、こんなに短時間で移動できるなんて、
とてもありがたいことなんだと、本当に心の底からそう思うんですよ。
だから本当に体験によって世の中の見え方が全く変わるんです。
池田:体験するギャップの大きさ次第で、幸せを感じる量が全く違うんですね。
マット:学校で生徒に刻まれる体験にも同じことが言えそうです。卒業した学生に『学校で一番良かったことは?』と聞くと、『友達と一緒に泊まりがけで行った研修旅行』とか、『特別な先生との出会い』とか。つまり、体験です。深いつながりを感じた瞬間です。もちろん、学びや学業の成果は重要です。でも、彼らが覚えていて、愛していて、語るのは…そういう「体験」なのです。
